近年「ワーケーション」「地方移住」という言葉がきかれるようになりましたが、私も四国の山奥に移住して10年の節目となったので、この間の活動記録をしておきたく、記載しておきます。
香川の山奥へ移住したのは2009年9,10月。
東日本大震災311があったのは、移住してからなので(あまりよい覚え方ではないのですが)、それとまだ残暑が残る頃でしたので、移住した時期は2009年10月頃という事を覚えています。
地方移住へ至ったの経緯
2001年に東京で就職。2008年4月、それまで中小企業のプログラマー・SEとして働いてきて、新会社法によって1円起業も可能な世の中となったことと、周りにフリーランスエンジニアの方たちが多かったことから、当時大阪で独立して仕事を始めました。
月額単価そこそこで継続的に開発業務をこなしていたけど、その年10月くらいにリーマンショック。幸い仕事には恵まれて、翌年の3月までは継続契約があったけど、その後は単発的な案件をこなしつつ生活をしていました。
2009年の夏(2008/8に独立、リーマンショックが2008/10だからその半年後くらい)頃から、地元である「千葉」に戻るか「香川移住」するか悩むところとなり、結果「香川県三豊市」へ移住する事を決めました。
実際に移住したのは2009年11月末。それまで大阪香川県事務所へ行き、IT市場があるか、仕事募集があるのか等調べていました。県職員の方の対応もよかったのも移住決断の要因の1つではありました。
移住してから分かった地方IT起業の現実
移住前は勤め人として働こうと考えていましたが、実際に移住した後、やはり「エンジニアとして香川(高松・丸亀・三豊辺り)で求人を探す」か、「フリーランスでやる」か、「いっそのことIT業界辞めて農業始める」か、、、といったように迷っていました。
ただ、今でも「経営」という業務を続けさせてもらっているという事は、当時も根本的には「自分で事業をしてみたかった」のかもしれません。
2009年12月~2010年2月までは完全求職状態でした。といっても県内の事業者をウェブ調査したり、商工会を調査したりと下調べ期間だったのかと思います。そのころの三豊市のネットワーク環境と言えば、一部地域は光回線、全体的に3.5G回線は来てると言われているのに、うちの方は電波状況が悪く3Gでも電波一本。光回線はなく最速のADSL(Yahoo!BBだったと思う)をひいていました。
今でこそ「日本のウユニ塩湖」でインスタ映えする地域になりましたが、実際には山の奥地。
これではフリーランスになるにしても仕事もしにくかった為、高松にある「香川産業支援財団」のITスクエア(いわゆるレンタルオフィス)を借りて2010年3月から事業を始めました。
「2009年12月~2010年2月」、この3カ月の遊び期間が今でも大事だったと思うのですが、
- ネットワーク回線事情を知る
- 商工会議所のような支援組織を知る
- 地元企業、地元IT起業を知る
これらを知るには十分な時間でした。
『事業』とかっこよく言っても実態は、オフィスを借りただけで人脈があるわけでもなかったので、平日は大阪でシステム開発の常駐勤務、週末高松でWeb制作事業の営業という活動がメインだったと思います。
そんな中、最初に営業訪問に行った先が高松の中小企業である、川西( @kawa24t )さんのところ。当時のウェブ市場は、東京・大阪ではCMSが進み、WordPress・MovableTypeが流行っていましたが、香川県は圧倒的なHTMLの市場でした。ただ、地元のウェブ制作会社との繋がりもなかった為、藁をもすがる気持ちで訪問したことを覚えています。川西さんはこころよく私と会ってくれ、県内・高松のウェブ市場について教えてくれました。
香川でのIT企業としての活動は、ここが始まりだったような気がします。
その後、「100人ビアガーデン」「学生と社会人の交流会」「IT最新事情情報交換会」等々、異業種交流会に呼んでもらい、いろんな人と名刺交換させてもらいました。(ほとんど直接的収益・契約になる事はなかったけどよい経験になったし、今でも財産だと思います)
同年2010年8月に「100人ビアガーデン」という交流会の中で、風呂さん( @menmi_g)と会ったことがきっかけで、 たむ(@tam_x) さんや兼久( @xnpo)さんと繋がり、その後日本Androidの会はじめ、STLUG、GDG四国、WordBench香川といった様々なOSSコミュニティに参加していくことになりました。
そして翌月2010年9月に倫理法人会に入会し、「経営とは」といったことを学びつつ、IT関連の仕事をこなすといった活動を行っていきました。
OSSコミュニティの活動ですが2011年1月に東京大学本郷キャンパスで行われたAndroid Bazaar and Conferenceへ初めて参加してきました。全国のandroidユーザーと開発者が集まった祭典で、四国支部メンバーとして夫婦で参加してきました。
少し話が逸れます
2011年3月3日、私は雲の上にいました。20代の頃に行ったローマは長期出張として、全くと言っていいほど予備知識のないままヨーロッパに飛び込んで仕事をしていました。30代になり、「もう1度、今度は観光で行ってみよう」と思い、夫婦で遅い新婚旅行として7泊9日の旅に出ました。ローマ時間3月11日朝12時頃、帰国の為フェウミチーノ空港にいました。当日受付の人に「日本には帰れません」と言われたことを覚えています。フライト後、北京空港の乗換時に日本の惨状を知ることになりました。
それから暫くは、OSSコミュニティのメンバーが「日本の為に」という動きをいろいろしていたことを覚えています。国内エンジニアの何%かは、「日本の為に今自分たちができる事」を考えていたのだと思います。Code for JapanもCivicTechもこの後に出てきた動きだと思います。
この時に、OSSコミュニティの楽しさと同時に自分たちの社会的責任感を意識し始めました。
2012年8月にフリーランスから法人成り。何とか地方でIT事業で稼ぐという体制を取りたかったけどその後、数年間は中々安定せず、あくせくしながら事業継続していました。
1つ目の転機は2012年8月。
それまで借りていた「ITスクエア」を約2年半で出る事にしました。というのもこの「ITスクエア」は契約最長3年までだったので、一般的にビジネスオフィスは半年前までに退出希望をしなければならなく、2年半で次のオフィスを探しはじめた為です。これも人との繋がりですぐに事務所は見つかり、宇多津町へ事務所を変えました。仕事は相変わらずWeb制作が多かったのですが、初めて東京の上場企業から大規模なシステム請負開発を受ける事となりました。
ただ、その時納品と支払いまで納めましたが、エンジニア(人材)と開発規模の組織的調整がうまくできず、自身のリーダーシップ&経営力のなさを痛感しました。ただこの時まだ『IoT』を言われる少し前で、IoTのようなもののシステム開発をお手伝いさせてもらいました。
2つ目の転機は2013年1月。
宇多津事務所を借りて1年くらいしてから、非常勤講師の声掛けが立て続けにあり、2つの学校へAndroidアプリ開発入門編&Javaを教えに行く事になりました。その後2016年頃に縁があって高専にも技術補佐員として暫くお世話になりました。
その後2015年ごろから高専での『Android専門講座』や『IoT講座』を香川県内で実施する事となっていきました。
3つ目の転機は2016年の夏。
2015年11月~2016年4月くらいまで倫理法人会の「倫理塾」に参加しており、「事業継承者とは」「創業者とは」といった事を体感を持って学んでいたこともあり、その研修を経て、研修終了時に「大学院へ行きMBA」を取得する事を決意しました。この倫理塾と並行して行っていたのが、「三豊100年観光会議」の活動です。それまでいろいろな地域活動にメンバーが取り組んでいるところを目の当たりにしており、また瀬戸内国際芸術祭2016の公式サイトとしての粟島「もんてクルー」へ協力させてもらい、経営と地域活動の両方の大切さを体験として経験しました。
大学院進学の動機は主に以下3つでした。
- 経営を経験値のみでなく学術的にもっと知っておきたい
- 地域活動・OSS活動を通して地域へ根差した人材・法人でありたい
- 香川の市場をもっと知る必要がある
4つ目の転機が2017年4月。
香川大学大学院への進学です。この際も香川産業支援財団のお世話になりました。香川県では「若手経営者育成の補助金」があり、大学院での学びなおしに対しても経済的負担を50%補助してもらえる制度があります。経済的補助は、非常にありがたく、学部生の時(貧乏家庭だったので)経済負担が気がかりで院進学をあきらめていたけど、良い機会がもらえました。結果2019年3月に無事修士課程を修了しました。この時期に出会えた同期生・先輩・後輩との繋がりは今でも生かせていると思います。
5つ目の転機が2019年4月。
卒業と同時に香川短期大学の専任講師となりました。元々は会社の経営を学ぶためでもあった大学院進学だったけど、教育という分野は地域として考えると、必ず「人材」というリターンが地域に帰ってくる先行投資です。「そう考えると、遠からず」という感じがして短大講師となりました。
もう1つ同時期に拝命したお仕事があり、中小企業基盤整備機構四国本部のアドバイザーです。中小企業へ「IT経営」導入を支援する業務を受けました。それまでシステム開発・導入はあったけど、経営の方からのアプローチは浅かったのですが、修士研究テーマがこの支援業務に非常に近いものを題材としていました。修士研究活動で培った実績が今でも有効に働いています。このような支援業務は(某SIerのお手伝いをしてたころ以来で、緊張しつつ支援を続けています)
上記の通り、時系列にキャリア的観点からの記載しかしていません(端的に書くとそっけない)が、実際は、人との繋がりがこのような転機に導いてくれていたと思います。
横文字でいうところのパラダイムシフト
移住&企業10年してみて、移住当初より働き方の意識や価値観が大分変わりました。
1つ目は、複業。1つの本職ではなく、複数の業務を本業と捉えて行う(複業:私が勝手に作った造語です)という事が楽しく思えるようになりました。一般的には「ありえない・少数派」の活動なのかもしれませんが、地方は作られていない世界であるがゆえに考え方や行動に自由がききます。都市部はその逆で複業しなくともいいですが、行動的自由さに不便を感じます。
2つ目は、地域活動と本職の融合。地方にとっては、地域の課題解決が本職へ繋がる事があるという事です。それを見つけるためにも、地域活動に参加する必要性(50%営業・25%地域活動・25%趣味くらいの意識)を感じました。これら活動は、狭い地方のコミュニティでは「実績」として残ります。都市部では、「どこの誰が行ったかわからない」まま終わる可能性もありますが、地方では「どこの誰が何をしたのか」残っていきます。これは良し悪しの判断もありますが、うまく使えば強い実績・功績として残っていきます。
3つ目が、東京との距離とパーソナルスペース。高松―羽田は、飛行機で1時間程度。通勤電車でいうところの津田沼~新宿くらいでしょうか。東京―四国がグッと近くなりました。東京―大阪の新幹線より近く感じます。それと、パーソナルスペースが拡大しました。地方は何かと土地も余っており、家も空き家もあったりと物理的にも広いです。人間関係はその人の性格にもよるでしょうが、常に当たり障りなく程よい距離感を作れます。飲食店の中、スーパー、電車の込み具合等も避ける事が容易です。
4つ目が、隠れた贅沢への意識。こちらに移住してくる人は、元々都会で様々な分野で活躍していた人が多く、そういった人は目立ちます。どのような職業の人であれ、(私含め)香川の魅力を新しい視点から発見してくれるので、そういった人と地元の人の情報が交わると、『元々あったのに見出されていなかった』贅沢さが際立って見えてきます。また、香川は田舎であるがゆえに歴史上の跡があからさまに残っています。これでもかと見せつけられる環境、そして自分たちがその歴史上にいた人物によって生かされている現在が嫌でもつながります。そうなると、元々そこにある価値というものに気づき、冒頭で述べたような「父母が浜」のような価値にも気づき始めます。
例えば「都市部 VS ど田舎」風景の違いとして挙げるとすると、「人工的に作られた安定的な変化 VS 自然にある日々変わる微妙な変化」なのかなと思えます。
5つ目に、経済的価値。上記1~4の先にあるものです。東京・大阪時代は、「圧倒的に収入第一」に考えていました(今も収入は大事ですが)。フリーランスになれば月額単価そこそこに、年商1000万の壁を超えることは想像できると思います(消費税納税を行うところに届かないくらいです)。ただ精神的にも経済的にも継続性は危ぶまれていました。今は総収入はMAX時の半分くらいまで落ちましたが、複業のおかげでバランスよい収益となっているし、半年くらい先までの見込みは立つような状態で、人生の経営的センスとしてはまずまずじゃないのかなと考えています。
最近のコミュニティ活動
先に記したように香川移住してからコミュニティ活動へ参加していました。2018年に初めて香川で「Android Bazzar and Conference Diverse 2018」を開催できました。そして、「Android Bazzar and Conference Diverse 2020」(2020年11月開催)では、コロナ禍の中「デジタル改革担当大臣」と「総務省 総務審議官」にも登壇頂き地方と東京の連携したコミュニティイベントを開催しました。このような活動は都市部にいたら自分が開催しようという意識すらしなかった分野だと思います。また地方移住してからつながった自治体・エンジニア・経営者の方々の協力がなくてはできなかったことです。
地方移住してかなった夢
・小さいころからなりたい職業はいくつかありました。
- 魚屋さん
- 社長さん
- 大工さん
- PG引退して農業
1,2は30前に経験できました。3,4は香川に来てから経験できました。
・若い時にやりたかった事もいくつかありました。
- バイクで快適に道を突っ走りたい
- 高校数学の先生
- 大学院で勉強したい
1はすぐに叶いました。2,3は若い頃の憧れで、数学とは少し違いプログラミングやシステム開発関連ですが、学生に講義をしています。自身が苦学生であった為、もっと近道や、助けてくれる存在や手法、自分の進む先へのアプローチ方法も様々ある事を学生には知ってほしいと思っています。結果、これらも香川に来て叶いました。
・今後まだやりたい事があります。
- ヨット(セーリング)をしたい。
香川は海も山もすぐ近いので、今後の課題として敢えて残しておこうと思います。
今後の構想
もう1度、地元の千葉に戻ってみようと思います。老後は香川でと決めているので、(香川で学んだことが千葉で通用できるのか分かりませんが)関係人口として千葉とは行き来できたらと。
これから地方移住を検討している人へ
私のように週末婚のような遠回りな動きをしている人は相当レアパターンです。他の移住された人はきちんとサラリーマンとして、また起業家として移住してきてビジネスをしたり、それぞれの生活を成り立たせています。それに今では、ネットワーク環境もWifiもある程度整備され、光回線も無事通っています。
よくネット上で議論されている「自治会との関係」については、私はどんどん参加した方がよいと思っています。(ただ参加できない時は「できない」それ以外は「参加する」と意思表示が大切)
最後に、地方から都市部を改めて俯瞰する目を持つと、それはそれで面白い人生となりました。